現在ダッサいおばチャリで出勤していますが、大学、公立学校が休みだからか人がいないっすね。
毎日土曜日の出勤しているみたいです。
おはようございます。小松です。
(今日の写真は昔デザインアートの学生さんが僕用に作ってくれたポスター)
昨日は家に帰って子供たちの百マス計算テスト(順調に伸びておりますね)、日本地図テスト(昨日は近畿地方でした。残るは本日の中部地方と関東甲信越地方のみ。現在のところ息子は徳島が、娘は島根が苦手らしいです。分からんでもない。)をした上で、「マリオカートwii3つ星コンプリートの旅(仮称)」に精を出しておりました。小2の息子は父ちゃんの超絶プレイ?を見るのが好きなようで、隣でヒョ~ヒョ~言いながら(うるさい)観戦しております。昨日は惜しかったですね。3面まで順当に3つ星レベルの走りでしたが、最終面最終コーナー手前のジャンプ台にさしかかったあたりでサンダーボルトを食らい(タイミング的に回避不可)溶岩の海に落ちていく骨クッパ・・・。まさかの、息子、泣いてましたね^^;
イラっとしたので、今度はファミコン時代から愛してやまないボードゲーム「いただきストリートwii(メルカリで700円^^)全面1位クリア&トロフィーコンプの旅(仮称)」を始めるも、勝利目前で最下位だったCPUのワリオがカジノマスに止まり、スロットでスリーセブンを5ライン揃える(1ライン揃えるのが体感で30分の1くらいの確率。そもそもカジノに止まった時にスロットである確率が4分の1ですから結構な確率)という神業を出し、あえなく2位。両ゲーム共にイライラさせてくれました。今日も帰ってがんばろ!
ゲームしない方には(している方も)全然訳が分からない話をして申し訳ありません。本題に入ります。
昨日の続きです。アップが遅かったので見ていない方は昨日のと合わせて見てくださいね。
今日の文章もちょっとイライラするかもしれませんが・・・^^;
あ
③どのタイミングで、どんな理由で面接試験不合格となったのか!?
(以下客観的事実の中にかなり「私見」が入ります。)
まず、意外に思われるかもしれませんが、昭和の人間で「面接練習」なるものを受けたことがある人はほとんどいないでしょう。
試しに親御さんに聞いてみて?
私はしゃべくりを注意されたことは数えきれないほどありますが、面接指導を受けたことはありません。
「コミュニケーション技法」みたいな言葉が生まれたこと自体つい最近です。それ専門の学校が出来た当時は正直「世も末」だと思いました。
なぜこの2つの言葉が生まれたのでしょう??
私は「学生がしゃべれなくなった」からと考えます。
言い換えれば、「企業が社会人として要求するレベルに達しない子が増えた」から。
昨日のブログで、「面接とは試験官(目上の方)にとって、一緒に働く部下を選ぶ場」だとお話ししましたね?
不合格ということは、この子を役所の窓口に座らせるのは怖い、消防・警察学校でやっていけるとは思えない、などなど向こうさんの要求するレベルに満たない(=不安視された)ということです。
また、これも先日のブログ(私の恩師の話)で述べたことですが、少子化の影響で「学校」と名の付く全ての組織は・・・
「学生を選ぶ側」から「学生(+保護者)に選ばれる側」になりました。
今や大学でも結果(主には就職先)が必要ですから、就職フォローもしなければなりませんね。
説明が長くなりましたが、そうした背景から前述の言葉は生まれたのです。
あ
あ
さて、昨日コミュニケーションという言葉を細かくしてお伝えしましたよね?
たとえば語彙力(簡単に言えば日本語と話題)。
私ら教員(たぶんみんなが今まで出会った先生全員)は学生と話をするとき「手加減」をしています。
なぜか?
伝わらないからです。
自分の頭の中にある語彙をそのまま使うと伝わらない学生の方が多いと判断し、学生が分かる語彙に変換して伝える。これを「意識的に」やります。
仮に、日本語をほとんど理解しないアメリカ人が観光に来ており、道を訪ねられたします。
母ちゃんとはぐれて泣きわめく、日本人の迷子の3歳児でも同じことです(先週近所のスーパーでリアルに発生しました)。
容赦なく、話をしますか?
分かる、相手に伝わる言葉で伝えようとしますよね?
「どした?お母さんは?」
「んぎゃだ~~びゃ~~~TT」
「ママは?」
「マぁ~~~~マぁ~~~~~~んだぁ~~~~TT」
「いっしょにママさがそうか!」
「(言葉にもならず)うん!!!うん!!!」
やっていることは善意なのですが、現在これをやると不審者扱いでして・・・嫌な時代です^^;
程度はもっともっと上ですが、我々が皆さんにやっていることと同じことです。
大人はすぐ分かります。
目の前の、自分より若い人が自分の言葉と会話の内容(話題)を理解しているか、していないかを。
何よりも、その話題について他人の意見を踏まえた自分の考えを持っているか、いないかを。
そして、眉一つ動かさずひっそりと落胆しています。
面接でも同様のことが発生している可能性があると思いませんか?
一般的な大人(注:その学生と関係性のない人)は、言葉遣いや態度が失礼だとか、身だしなみがなっとらん!とか、この言葉の意味も分からないの?とかイチイチその場で指摘したりはしません。関係があっても反発されるのが面倒くさいから指摘しないという場合もあるでしょうし。
面接ならなおさらで、その場は笑顔で「以上で試験を終わりますね^^」とか言っておいて、「不合格通知」を送り付けたらいいだけでしょう。
これがよく発生する、「絶対合格しました!面接官めっちゃ笑顔でしたもん!!!」か~ら~の不合格。
私はそんな報告当てにしません。
ムスッとしていようが、嫌味で意地悪な質問ばっかりされようが、合格通知は来るべくして来ます。
あ
さて、やっと本日の結論です。(話せば10分かからんのに・・・コロナめ!!!)
「どのタイミングで落ちたのか?」
「私は」ですね、学生の多くは「何をしゃべったか」という、話している側として不合格になった事例よりも、「面接官の話(質問)をどんな風に聞いて、どう解釈したか」という、聞いている側で不合格になった事例の方が圧倒的に多いと思っているんです。
私が行う面接(コミュニケーション)指導のほとんどは「目下の受け手」としてのあるべき姿の追及です。
学生には、特に小松組学生には、「自分のコミュニケーション能力はまだまだ発展途上」という謙虚な気持ちでおいらの言葉に耳傾けてくれたら、実行してくれたらと思います。
「その子はどんな理由で落ちたのか?」
これはねサッパリ分かりません(一般企業ならこっそり教えていただける場合もありますが)。
でもね、試験会場の様子と試験官の考えは分かりませんが、私生活で見て取れるものは多いです。
だから我々は山ほど指摘するんですよ。自分の中では今まで指摘されたこともなく、平気なことでも我々から見たらアカンこと。試験がアウトになること。それは分かるから。
その組織、試験官それぞれの考え分からないから、難しい。
正解もないから考える。
不謹慎だと言われるかもしれませんが、天職だと思ってこの仕事をやっている身としては、
分からず、思うようにもならないから、「これも一つの正解です」という意味の「合格通知」をもらう課程が面白いんですよ。
精神的にドが付くMなんでね^^
公務員試験もマリカーも勝つまでやりますよ。
絶対に勝つことが分かっているものなんて、1日で飽きますよ。
あ
あ
【公務員専攻科への連絡】
明日、20日についてとそれ以降の決定についての連絡をメール(リスト完成しました)でいたします。
今とりあえずメールしてみました。見れる状態にするか、気にしておいてください。